3.11
今年もあの日を思い出す日がやってきた。14年前、私はお仕事で出向先にいた。チームには福島と仙台の出身者がそれぞれいた。刻一刻と変わる情報がニュースで知らされていく。そのたびに不安は増していった。帰りは電車がとまり、いわゆる帰宅困難者となった。新宿で身内のオフィスに入れてもらい一晩過ごし、翌日に動き出した電車を乗り継いで帰宅した。当時は東京23区の下町に住んでいた。続く計画停電。おにぎりを大量に作って、暗い部屋でそれを食べながら過ごした。テレビは津波のつらい映像を何度も流すので、情報源はラジオに切り替えた。当時はまだ一部の好き者しかいなかったTwitterにはたくさんのつぶやき(懐かしい言葉だね)があって、普段シニカルな言葉を吐いている人が混乱して陰謀論に走ったり、ふだん地味な人がみんなの励みになることを繰り返し投稿したり、非常時にひとびとのふるまいが変わるさまを眺めながら、有益な情報を求めて彷徨っていた。結論は、2ch時代と同じで「一次情報をあたれ」なのだった。
私は帰宅困難者となったぐらいで、実際に被災したわけではない。それでもあの日のことを忘れてしまうのはよくないことだと感じている。だからこうしてメモだけでも残す。
合掌。